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     このページでは、宮城県伊具郡丸森町耕野地区の紹介をしております。
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町の概要

自然条件 宮城県の最南端に位置し、300m内外の山が連なる阿武隈山地の一部に盆地を形成している。阿武隈川とその支流河川流域地帯のみが平坦地であり、町域の70%余が山林となっている。
   産業経済 産業の中心は農林業で、米、酪農、養蚕、果樹、野菜、しいたけ等の生産が主である。商業は小売業を中心とした商店がほとんどであり、工業は近年、弱電関係に加え男子型企業の進出も見られる。
   観光文化 舟下り、国民宿舎あぶくま荘、不動尊公園キャンプ場、齋理屋敷等と阿武隈急行線の全線開通、阿武隈渓谷県立自然公園の指定等により、観光客の増加が図られる。
   郷土自慢 山林は、わらび、ぜんまい、きのこ等山菜の宝庫である。また、阿武隈川からは、あゆ、こい、うぐい、うなぎ等が豊富にとれ、食卓をにぎわしている。
   キャッチ
フレーズ
水とみどりの輝くまち 丸森
   特産品 たけのこ、ころ柿、しいたけ、竹細工、わら細工、丸森紬、丸森和紙、しそ巻きらっきょう
姉妹都市 ヘメット市(アメリカカリフォルニア州)
端野町(北海道常呂郡)
       
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耕野地区について

 宮城県伊具郡丸森町耕野地区は、町の西部に位置し白石市と福島県梁川町に接している。
 かつてこの地は、ほとんど人家のない山地であったといわれ、治承の乱(1180年頃源平の戦い)に敗れた平家の落武者が土着したとも伝えられる。
 降って、伊達政宗の時代、大蔵・川張と合わせた3か村で、馬上11騎槍鉄砲150人組を組織し、白石城攻めに加わり、以後仙台藩直轄地となった。
 伊達との境でもあり、藩境の警備を強化するため、藩としてもこの地を重要視していた。馬上鉄砲組はよくその期待に応えた。
明治維新後は、一時3か村連合したが、明治22年独立して耕野村となった。
 昭和13年、国策にそって、満州に分村移民することになり、昭和15年から移民が始まり、満州に「耕野村」を建設した。
終戦後、満州から引き上げてきたこれら移民の受け入れについては、県の斡旋もあり、栗原の栗駒山麓に開拓入植、「耕英村」を建設した。
 昭和29年、丸森町に合併した。
 地形を利用して、タケノコ(孟宗竹)やころ柿の生産が盛んである。
(丸森町教育委員会発刊「丸森町の文化財」より)

耕野の世帯数・人口(住民基本台帳より)

世帯数  283世帯
人 口 961人
 男   485人
 女   476人
(平成18.3.31現在)
       
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沿 革

   明治22年 市町村制施行により丸森村、金山本郷、筆甫村、大内村、小斎村、舘矢間村、大張村、耕野村の8村が発足する
   昭和29年 丸森町、金山町、筆甫村、大内村、小斎村、舘矢間村、大張村、耕野村の2町6村が合併して現在の丸森町となる
   昭和63年 阿武隈急行線が、第3セクター株式会社 により宮城県柴田町槻木〜 福島市間全線開通
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