このページでは、宮城県伊具郡丸森町耕野地区の伝説を紹介しています。出典は「広報まるもり」です。
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耕野の伝説

   
 取上げ山(とりあげやま)

桃泉寺後方あたりの岫屋敷(くきやしき)の万右衛門(愛宕力)が、白石で谷風(1750〜1795横綱)力士を投げて、人々は嘆賞した。その後、この山に土俵を造り谷風を招き、相撲会を開くことにし、村民はここに大勢集った。
まず、万右衛門が土俵で四股を踏んだところ、きびす節が埋まり穴があいた。谷風はこれを見て、「相撲の手ではない」と思い、弟子達を連れて引き上げ、相撲会は取り止めになった。
それがなまって取上げとなり、この山が取上げ山になったと伝えられている。
   
 嶽の婆さん(だけのばあさん)

みやぎ仙南農協耕野支所から、白石市の越河へ行く途中にため池があり、昔から土地の人々は嶽の堤と呼んできました。
この堤の約200b下方の旧道筋に「嶽の婆さん」と呼ばれている場所があり、数基の古碑と石像がまつられていて、次のような言い伝えがあります。
「今から200年ぐらい前のこと、修行のためにこの堤近くに一人の尼僧が入山した。この尼僧は修験者で、裏高丸(茗茄沢)でわらじを脱ぎ、嶽の堤付近を修行地に選び住むようになったという。
尼僧は、信濃国(長野県)飯綱山の神様からクダギツネなどを駆使する「飯綱法」と呼ばれる神通力を感得していた。その神通力を使っての所業は、近郷近在の村まで評判となった。
特に、修行明けの時に人々に見せた『池渡りの法』は、後の世まで語りぐさになっている。それは、嶽の堤に大きい木の葉を2枚浮かべ、それに足駄履きで乗り、堤の中を自由自在に歩くことだという。
いつしか村の人たちは、この尼層を『嶽の婆さん』と親しみを込めて呼ぶようになった。
嶽の婆さんと呼ばれている場所が、婆さんの住居跡なのか、お墓なのか、詳しいい伝承はありません。
かつてこの場所は、博打場としても聞こえ、嶽の婆さんの神通力にあやかろうと、遠方からも賭け事をする人たちがお参りに来たといわれています。また、子どもの夜泣き止め止めに霊験があり、石像に赤い頭巾やよだれかけを奉納して祈願する人もあったということです。
現在も、ひそかにお参りする人があり、2、3年周期で金銭等が置いてあるそうです。博打に神は、くじ運にご利益があることから、現在では選挙の神様とされているものが町内にありますので、嶽の婆さんをお参りするのは、当選を祈願する人たちかもしれません。
嶽の堤は、享保13年(1728年)決壊し、その修復には堅固な堤にするために流れ者を人柱にしたという「人柱伝説」もあります。
「イズナ」は憑き物の一種で東日本に多く分布している信仰で、修験や巫女などの信仰とも関係が深いといわれています。
嶽の婆さんは、人柱伝説や子育て信仰も伝えていますので、各地に残る姥石や姥(乳母)神様とも関係があるのではないかと思います。
   
 潜り岩と猿ぱね(くぐりいわとさるぱね)

国道349号沿いを福島県梁川町から県境を越え丸森町耕野に入るとまもなく、阿武隈川が東から北へ大きく流れを変える耕野川向(かわむき)地区に「潜り岩」と「猿ぱね」があります。
阿武隈川が岩床を縫って激しく流れるこの場所には、弁天様、山王様、向かいの富野には九瀧神社がまつられ、景勝地と同時に人々の信仰の地となっており、次のような言い伝えがあります。
「潜り岩は、天喜年間(1053〜58年)安部貞任が源義家の軍を迎え撃った時、この場所で阿武隈川をせき止め、信達地方を湖にして敵を防いだ所といわれ、その時、この岩が水に潜ったので『潜り岩』の名称がついた。その水が白石の方にもあふれ越したのでその所が『越河』と呼ばれるようになった。
また、文治年間(1185〜90年)源頼朝が奥州攻めの時、迎え撃つ藤原軍は阿津賀志山に立てこもり、この潜り岩をせき止めて頼朝軍を防いだ所ともいわれる。
猿ぱねは、潜り岩の山王様と霊山の山王様が親しくなり、その使いに猿が行き来したので、『猿ぱね』と名称がついた。また、阿武隈川を下る舟が急流の滝で見え隠れするのが、猿が飛び跳ねているように見えたのでこの名がついたという。」
梁川町の方では、この場所が九つの滝になっていて信達地方は湖であった。この滝を壊して阿武隈川ができたと伝えており、耕野地区とは対照的です。
平野部を流れてきた阿武隈川が山峡に入り、その入口に門のようにそびえ立つ二つの岩と大きく流れを変えるためにできた「よどみ」は、往古の人々の目をひいたに違いありません。阿武隈川に対する感謝と畏怖心から水をつかさどる弁天様、九瀧様がまつられたものと思います。
また、この九瀧神社は、九頭竜権現と関係があるのではないかと思われます。天岩戸で有名な戸隠信仰は、九頭竜権現と関係がある水神信仰といわれており、巨岩、深淵な場所であることからこの神社がまつられたものと思われます。この場所が合戦の折、川をせき止めた場所であるという言い伝えが数多くありますが、いずれも、東北を攻めてきた者を防ぐための行動であったという「地元側」の言い伝えであるところに意味があると思います。
    
泣き地蔵

国道349号を丸森から福島県梁川町の方へ進んで行きますと、大張と耕野の境に西風沢(ならいさわ)という所があります。阿武隈川を見下ろすこの場所に、「泣き地蔵」と呼ばれるお地蔵様がまつられており、次のような言い伝えがあります。
「この付近の阿武隈川は急流で、川の中に少しの増水でも隠れてしまう『大明神』と呼ばれる大岩もあり、舟の通行には危険な場所の一つであった。ここで多くの人が水難に遭い、その人たちを葬った場所が西風沢の地であったという。
沼の上の斎藤氏の声がけで、お抱え石工の五郎八という者に地蔵様を刻ませて水難者供養に建立した。ゆえに、土地の人はこの地蔵を『五郎八地蔵』と呼んでいた。その後もこの場所での遭難が相次ぎ、多くの人が葬られた。
ある時、この地蔵様の前で赤子を抱いた若い女が死んでいた。調べてみると、福島から亘理の荒浜へ荷物を運ぶ途中で遭難した船頭の女房(恋人とも)であった。死んだ夫の供養に来て、行き倒れとなったということであった。土地の人は、かわいそうにと夫の傍に葬った。その晩から、毎日のようにこの場所で赤子の泣き声が聞こえてくるようになり、村中の噂になった。これを聞いた女の実家では、親子の霊が成仏しないからであろうと、子安観音像を刻み地蔵様の傍に建立した。すると、不思議、その晩から泣き声はピタリと止んだ。それからこの地蔵様は、『夜泣き地蔵』または『泣き地蔵』と呼ばれるようになった。」
現在でも、子供の「夜泣き止め」に霊験があるといわれ、仙台や福島など多くの皆さんに信仰されています。先日も、仙台の方がこの地蔵様に夜泣き止めをお願いし泣かなくなったが、お礼参りを忘れていたらまた泣き出し、改めてお参りに来て泣き止んだという話もあります。いつも新しい帽子やよだれかけが奉納されているところをみると、その霊験のあらたかさを物語っています。
昔からこの場所は、何回も水害による山崩れが起こり、その都度、地蔵様や人骨が出てくるそうです。子安観音像も、大正2年の山崩れの際に流され、後日、漁をしていた網にかかったものが引き上げられまつられているものです。かつて、航海安全のお地蔵様でしたが、現在では、陸上の交通安全にも霊験があるといわれ、多くの人々に愛されている「泣き地蔵様」です。
    
春日神社と宝ケ池

阿武隈川沿いの国道349号耕野沼の上、耕野地区と丸森地区を結ぶ羽出庭大橋の登り口に、「春日神社」がまつられています。神社の裏に小さな沼があり、春日様の「手洗い池」だといわれています。この沼と春日神社には、次のような言い伝えがあります。
「今から約1200年前に征夷大将軍の坂上田村麿が、日本武尊を祭神として武隈社を創建した。その後、一時荒廃し、南北朝の頃に北畠顕家の家臣高橋判官という人が春日神社を合祀、以後、『春日神社』と呼ばれるようになった。
戦国時代、伊達政宗が春日神社に参拝、この時、裏の沼で手と顔を洗ったところ、この沼にすむ魚が片目になってしまった。享保年間に伊達五代藩主吉村がこの地を訪れ連れ、沼の上屋敷で昼食をとり、沼のハスを2首の歌に詠んで、沼の上屋敷の主人に与えた。それから、この沼は、『宝ケ池』と呼ばれるようになった。宝ヶ池は、どんな時でも水量は変わらないといわれている。」
安永8年(1779年)の「風土記御用書出」には、次のようなことが記されています。
「沼の上の春日神社は、北畠顕家の家臣高橋判官という人が勧請したというが、その年月日はわからない。社は東向き6尺3寸作り、地主は沼の上屋敷の定左衛門である。東向き縦4間、横1間半の長床もあり、別当は治奥寺である。沼は、周囲5間余りで、『宝池』と呼んでいる。この沼は、春日神社のお手洗いといわれている。」
現在は、嘉永元年(1848年)の創建という春日神社と、約8b×30bの沼が残っていますが、長床はありません。土地の人は、この神社を養蚕の神として信仰してきたようで、鶏の卵を供える風習がありました。春日神社の本源は、藤原氏の氏神で奈良県にあります。庶民とは無縁だったのか、数が少ないようで町内でもここだけのようです。
武隈社は、竹駒神社と関係があるのかも知れません。養蚕信仰との結びつきは分かりませんが、「春日様の手洗い池」や「片目の魚」伝承は、民俗学上貴重な伝承です。片目と春日様の関係では、栗のイガで目を突き、片目となったという春日様が栗駒町にあります。「片目の魚」の伝承は各地にあり、「重要な神供である魚は、神社の池などに放し、清めてから供えるもので、他の魚と区別するために片目をつぶしておいたものであろう。(東京堂出版『民俗学辞典』)」と、民俗学では考えられています。
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